2008年11月28日

なぜらくごか

たまに「何で落語家になったの?漫才とかコントはやろうと思わなかったの?」
なんて聞かれます。
確かに子供の頃からお笑いは好きで、欽ちゃん、ドリフ、ひょうきん族、とんねるず、色んなお笑い番組好きで見てました。
ただ、何故か笑点だけは見てませんでした。何でだろ?
で、前にも書きましたがちょうど高校生になる頃から関西のお笑いにすっかりはまったのです。

中でも一番影響を受けたのはやはり島田紳助さんでした。
今でもモチロン大活躍されてますが当時(90年代の初め)からその話芸は天才としか言いようが無く、特に比喩の仕方はまさに日本一でした。
また、先輩のタレント(上岡龍太郎さん、和田アキ子さん、山城新伍さんなど)と組んで司会をされてる番組は特に面白かった。

高校卒業後の進路など全く決まってなかったので「お笑いでもやろうかな?」と考えた時もありましたが、紳助さんの才能の凄さに「こんな凄い人と同じ世界でやれる訳がない」と諦めました。
当時18歳でした。

ちなみに落語は当時は全く知りませんでした。
時々TVで故林家三平師匠の昔の映像が流れたりして「そういう芸能が昔はあったんだ・・・・」となんとな〜く知ってたくらいで、現在にはもう誰もやってないと思ってました。
ところが22歳の時に初めて寄席という物が現在でもある事を知り、そこで落語が現在でもやってて、落語家も現役でいる事を知ったのです。

初めて落語を聴いた感想は、着物を着た年配の人が歌舞伎のように昔の話を独特の口調で話す難し〜い古典芸能で、いわゆる「お笑い」では無いんだなと感じました。客席も静かでお客さんも少なくほとんど誰も笑ってませんでした。
ただ、その噺家が誰だったかは覚えてません。
しばらくして、たまたま出てきた師匠の昔昔亭桃太郎を聴いて落語にも現代モノ(新作)があり、笑いの要素がある事を知りました。
そして一年後その桃太郎に弟子入りするのです。
理由はネタが面白く、その日出た全ての芸人の中で一番うけてたからです。
18の頃とは随分と考え方も変わってました。

実は前日まで就職情報誌で見た、都内のある焼き鳥屋(チェーン店)に面接に行こうと思っていたのです。
と、言うのも当時「べトナムで焼き鳥屋をやりたい!」と夢見てたのですが、なんせ共産主義の国なので個人で働くなんてまだ難しいと聞いて半ば諦めてたのです。
ところがその焼き鳥屋が、ちょうどベトナムのホーチミン市に店を出すから現地で働く従業員を募集してたのです。
まさにオレの為の求人案内ではないかと小躍りし、今は金曜の夜だから月曜になったら問い合わせようとワクワクしてました。
しかしこの数時間後なぜか「やっぱり落語家になろうかな」と思い始め、翌日の土曜の昼には浅草演芸ホールで師匠に弟子入りを申し出てたのです。
当時23歳の秋でした。

あれから11年経ちましたが、何であの時落語家になろうと思ったのかはいまだによく分かりません。
でも、もしあの時ベトナムで焼き鳥屋になってたら後の鳥インフルエンザでひどい目に遭ってた事でしょう。

う〜んラッキー手(チョキ)


posted by Shintaro at 05:06| 東京 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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