2016年04月01日

バイトの思い出

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井の頭公園のは一部を除きほぼ満開だった。
咲く前は楽しみだが、いざ、満開の桜を見たらもうどうでもよくなる。
毎年の事だ。
それより人出が凄い!
明日からの3日間はもっと凄いんでしょうね。

東中野に住んでた5年間はバイトばかりしてました。
コンビニ、スーパー、弁当屋、会社の事務、国技館、郵便局、アンケート調査、海洋調査・・・他にもあったと思うけどはっきりとは覚えてません。
一番長かったのは後楽園ホールでのバイト。
3年くらいやったんじゃないかな?
おかげで収入も安定したし、当時のバイト仲間とは今でもちょくちょく会う。
場内案内が仕事で、最初は「プロレスがタダで見られてラッキー!」って感じだったけど、さすがに毎日見てると飽きてきますね。
タイガージェットシンに追いかけられたり、G馬場さんが若手と相撲を取るからと行司を頼まれたりと、なかなか他では体験できない事もありました。
ボクシングやキックボクシングの試合では、選手がK.Oされてひどい時は担架で医務室まで運ぶなんて事もしばしば。
医務室で処置して自分の足で帰宅出来ればいいんだけど、中にはそのまま救急車で病院に運ばれる選手もいる。
本人は意識が無いが、応援に来てた家族や知人は顔が青ざめてる。
アレを見るたびに自分はボクサーにならなくて良かったと思った。
僕がバイトしてた間だけで2人はお亡くなりになったと思う。

時々、お隣の東京ドームにも派遣されて行った。
ある年、大晦日と前日の30日にXJAPANがコンサートした。
両日ともメンバーが遅刻したのか、リハから開場、開演と全て2時間遅れで始まった。
コンサート中、ボーカルのTOSHI(洗脳前)が、
「お前らっ!今日は帰れないかもしれねーな!」と言った。
「キャーッ!!」と叫ぶ大歓声の中で、
その「お前ら」には僕も含まれてるのかな?
と思ったら複雑な気持ちだった。
帰りたいし、風呂入りたいし・・・。
大晦日は夜中でも電車が動いてるからいいが30日は困る。
結局、ぎりぎり終電には間に合ったが銭湯には間に合わなかった。

そのコンサートで意外だったのはファンの女の子だ。
大体、10代20代の茶髪や金髪で派手な格好のめんどくさそーな子ばかりなのに、休憩の時にトイレの場所なんかを聞かれ教えると「ありがとうございます」と丁寧にお辞儀をする。
見た目と違って礼儀正しい子が多いのだ。
これは巨人戦に来て偉そうにしてる、中年のおっさん客とはえらい違いだ。
特に60代70代のおっさんがやたらとえばって偉そうだった。
これは野球場に限らず他のバイトでも感じたことだ。
一番態度が悪いのが中年の男性で、逆に良いのが若い女性だ。

時々、大企業のお偉いさんとお会いする時もあるが、地位がある人ほど上品で紳士的な人が多い気がする。
どんなに相手が年下だろうとバイトだろうと前座だろうと、必ず丁寧語で話し礼儀正しい。
決してえばらず、イライラせず、温和で落ち着いた態度の方と何人かお会いした事がある。
その度にすごいなぁと感服した。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉があるが、まさにその通りだ。
もちろん自分の部下と部外者では対応が違うのかもしれないけど。

小物ほど普段から無意味にえばりたがる。
芸人でも・・・以下自主規制。
それよりもう4月じゃん。
早っ!


posted by Shintaro at 00:27| 東京 ☀| Comment(3) | 思い出した | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月31日

東中野

最近、誘拐事件の現場として東中野がよくテレビで出てくるけど、ボク昔住んでました。
高校を出て初めての一人暮らし。
落語家になるまで5年近く住んでました。
駅から徒歩3分の2階建て木造アパートの2階。
四畳半でもちろん風呂なし、共同玄関、共同トイレ。
北向きの窓を開けて手を伸ばすと、隣のアパートの壁に届きそうなくらいだから日当たりは最悪。
家賃は水道費込みで24,500円。

銭湯はすぐそばにあったけど400円。
西荻窪の実家まで電車で往復320円。
銭湯行くより実家帰って風呂入った方が安かった。
6部屋あったが男しか住んでない。
共同玄関には、その男6人分の靴が脱ぎ散らかしてあって、玄関に近い僕の部屋には風向きによって時々悪臭が漂ってくる。
共同トイレ(もちろん和式)も玄関に面してあり、真冬など寒くてトイレに入るのが嫌だった。

こんなアパートにもNHKはしっかり集金に来るから驚く。
こっちも生活は苦しかったが、その50代くらいの集金のおばちゃんもなかなか苦しそうだった。
これは手強いと思い、月収から部屋の家賃など如何に生活が大変かを説明し、室内アンテナのぶれた映像のテレビ、冷蔵庫の中まで見せ何とかお引き取り願った。

鍵は掛けたり掛けなかったり。
盗まれるような物もないし、ある意味気楽だった。

ちなみにココに住んでる時はいわゆるフリーターだった。
収入が安定しないから当然生活は苦しい。
特に最初の2年くらいはひどかった。
主食がぶどうパンともやしだった時はまだ良い方で、ひどい時は小麦粉を水で溶いてフライパンで焼きソースをつけて食べたり、夏場など砂糖水を凍らせて半日ひたすらそれを舐めたり。

あんまりお腹が空き過ぎて明け方に眼が覚めた時は、近所の小学校に忍び込みニワトリ小屋から卵を頂こうとしたが、小屋の網の目が小さくて手が入らず断念したこともあった。

ある時、給料日までの3日間をぶどうパン3個でしのがなければならない時があった。
1日1個でと思ってたが、初日の夜にあまりの空腹に我慢できず残りも全部食べてしまい、後の2日間は水だけで過ごした。
2日後の朝、ふらふらしながらATMから給料を引き出し、コンビニで食料を買い込み部屋でむさぼるように食べた。
何を食べたかは覚えてないけど、多分すぐに食べられるおにぎりか菓子パンだったと思う。
むさぼるように食べたというのは、あまりに腹が減り過ぎるといちいち味わってなんかいられないからだ。
ちょうど20歳くらいのことだ。

当たり前だけど、ホントに貧乏で食べるものが無いととにかく痩せる。
落語家になり、仲間でタバコを吸いながら毎日酒を飲み、お金が無いと言ってる小太りの人を見てたら「ぜんぜん貧乏じゃないじゃん」って思った。
僕も落語家になった最初の1年で12キロ太りましたからね。

ようするに東中野ってそういう所なんですよ。
posted by Shintaro at 01:36| 東京 ☀| Comment(0) | 思い出した | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月23日

18歳の夏の思い出(4)

国道沿いに歩いてると時々怖い思いをしたりもする。
静岡の由比を過ぎたあたりからトンネルの中を歩く羽目になり、もちろん歩行者は他に誰もいない。
普通は少し手前のバス停からバスに乗るようだ。
高速じゃないんだし行けるだろうと、甘く見たのが間違いだった。
ガードレールのない国道のトンネルの中を壁伝いに歩いてると、自分の背丈ほどのタイヤの大型トラックが、轟音と共にガンガン飛ばしながら横を走り抜けていく。
信号も無いしひっきりなしに。
夕方という時間帯も悪かったのでしょう。
途中で引き返そうかと思ったが、怖くて振り向く事も出来ない。
更にカーブが続き先が全く見えない。
途中に3か所ほど花束が供えられてたりして。
オレンジ色の薄明かりの中、生きた心地がしなかった。
おしっこをちびらなかったのが不思議なくらい。
ちょっと内側にずれたら、轢かれて即死したでしょう。
死を意識したのはこの時が初めて。
人間はいとも簡単にあっけなく死ぬもんだと思った。
発達した脳に比べ、その肉体は実に脆くあっけない。
この死生観は今に至るまで、僕の人生に色濃く影を落とす事になる。
日曜の早朝、野犬の集団に襲われそうになった時も怖かったが、このトンネル内での数十分が一番怖かった。
あの時は本当に嫌な、思い出したくもない体験だったが、今になるとこの貴重な体験をしただけでも旅をした甲斐があったと思う。

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そんな事よりこれホント美味しい!生きてて良かった!
あの時死んでたらこんな美味しいチョコレート食べられなかったよ!


posted by Shintaro at 23:59| 東京 ☁| Comment(0) | 思い出した | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月22日

18歳の夏の思い出(3)

当時のノートを読んでると、思わずツッコミたくなるような事が書いてある。
いくつかピックアップしてみました。

小田原
「足の水ぶくれを潰したら楽になった」
歩き過ぎると、足の裏に豆のような水ぶくれが出来ます。
これが歩く時に痛くてしょうがない。
それを安全ピンなんかで穴を開けて中の水を抜くと楽になる。
何度か繰り返すとそのうち水ぶくれが出来なくなった。
「それにしても嫌なホテルだ」
どんなホテルだよ!
覚えてないなぁ〜。

沼津
「一万円拾った。キンチョーした」
これ、ハッキリ覚えてます。
道に普通に落ちてたんです一万円札が。
思わずガッツポーズして喜んだのは覚えてるけど、何でキンチョーしてるんだ?
我ながら小心者だね。
「やっと家に電話した」
「ちょっと行って来る」と言い残して家を出て3日目だよ!
親心配してんだろ!
もっと早く電話しろよ!

島田
「車の中で寝させてもらったけど暑くてあまり寝られなかった」
適当なホテルが見つからなかったので、深夜2時までやってる蕎麦屋に閉店まで居させてくれと言ったら、ご主人が車の中で寝てていいよと言ってくれた。
お言葉に甘えて車の中で寝させてもらった時の感想がこれだ。
公園のトイレの屋根上よりましだろ!

東岡崎
「雨の中を一日中歩く。大型のトラックに何度か水をはねられて体にかかる。右足がつったような感じが続きまともに歩けない。安い旅館に泊るが暗く汚くて嫌だ。明日も雨の予報。今日で終わりにして東京に帰ろう」
良く覚えてないけど、踏んだり蹴ったりで相当へこんでたんでしょうね。
東京に帰ろうって書いてるのはこの日だけでした。
ちなみに翌日・・・
「足はほとんど痛くないし、何故か天気が良い。とりあえず名古屋まで行こう!」
一晩でころっと変わってた。

大阪
「府立体育館でFMWを見る。2階自由席で6千円。メインは大仁田・後藤組VSシン・シーク組。週プロを買う」
この頃はプロレス好きでしたね〜。
しかし、6千円は高いだろおい!
あと雑誌買うなよ!
荷物になるし、そもそも読んでる暇ないだろ!

彦根
「市役所の駐車場で夏祭り。かとうれいことWヤングが来てた」
これは覚えてる。
お祭り終わるとみんなぞろぞろ帰っちゃうんですよね。
急に寂しくなって、僕はそこから寝る場所探し。
結局、この日はレンタカーの営業所の軽トラの荷台をお借りした。
しかし、漫才のWヤングは覚えてるけど、何故かかとうれいこは覚えてない。
普通逆だろ?

倉敷
「ホテルのおばさんと地下街のレストランに夕食を食べに行く」
何だこれ?
さっぱり記憶にない!
誰だホテルのおばさんて?
地下街?
そもそも倉敷の記憶が全く無いよ!全く!
不思議だ〜。
「手をかざして血液の流れを良くするという人に、頭に手をかざされた。何も変わらなかった。赤穂にもこういう人がいた」
暑い中歩いてんだから血流なんて良すぎるくらいだろ?
疲れてるんだから相手にするなよそんなの!
そもそも赤穂で懲りろよ!

翌日、福山に着き、台風接近の為その後は電車で移動した。

広島
「福山から歩いてたら4日間、約24,000円かかるところ、電車で1,850円で着いた」
まさにこれ!かかる費用が全然違う!
道中の楽しみは無いが、コスパを考えたらもういいやって思った。
もっとも、台風が来てなかったら普通に歩いてたんですけどね。

広島からは、青春18キップと言う11,300円で5日間乗り放題の切符で、福岡⇒長崎⇒熊本⇒鹿児島⇒大分と周り、大分の佐伯と言う所から深夜のフェリーで高知に行き、更に深夜のフェリーで大阪に行き、東海道線を乗り継いで東京に帰ってきた。
お気楽な観光旅行だった。
大阪のNGKで吉本を見て「落語以外は面白かった」というのが興味深い。
どなたが出てたんだろ?
覚えてないや。
posted by Shintaro at 00:05| 東京 ☁| Comment(0) | 思い出した | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月21日

18歳の夏の思い出(2)

前回の続き!
改めて当時の記録を読み返すと、色々と発見があって面白い。
ちゃんと毎日いくら使ったかなんて記録してた。
今では考えられないよ!

一日5〜6千円
ホテル代込みで大体一日の出費は5〜6千円だった。
ちなみに歩く速さはおよそ15分で1km。
1時間で4km。10時間で40kmの計算だ。
自然と覚えた。
コレを目安に道路上の交通標識の「OOまで△km」を参考に歩く。
僕には一日40kmが限界だった。

一日2食
これは意外だった。実はいつからか僕は基本的に一日に2食しか食べない。
高校時代は普通に3食食べてたのだから、2食になったのはこの旅の時からだ。
知らなかった。

毎日アイスを2・3本
必ずアイスを毎日食べてる。しかも2・3本。

ホテルは電話帳で
今と違ってスマホもパソコンも普及して無い時代だ。
ホテルを探す時は主に公衆電話の電話帳で調べていた。
交番に行くと家出少年と間違われ面倒臭そうだったので、いっさい寄りつかなかった。

人がいるとホッとする
田舎の方に行くと何時間も人とすれ違わない時がある。
どころか、民家さえも無い時がある。
東京育ちの僕にはコレはかなり気味が悪く不安にさせられた。
あと、街中から普通に山が見えるのも驚いた。

曇りは嫌だ
天気だからしょうがないのだが、曇りの日はテンションが下がる。
さらに、雨の時は最悪だ。
傘さしながらトボトボ歩かなければならない。
しかも、途中からシューズの底がすり減り穴が開いていたので、靴の中がグチョグチョで気持ちが悪い。
かといって晴れたら晴れたで暑過ぎてきついんですけどね。

コンビニさいこー
コンビニはホントにお世話になった。
朝、6時頃に出発するとお店なんかやってない時が多い。
だから朝食はたいがいコンビニでおにぎりと水を買い済ませた。
また、日中あまりの暑さで朦朧とする時がある。
そういう時にクーラーがガンガンに効いたコンビニに入ると一気に生き返る。
さらに、持ってた地図が学校の授業で使ってた物なので道路が詳しく載ってない。
そいう時にコンビニで道路地図を立ち読みしてルートを覚えると助かった。

前回の記事の写真で、ノートの文字が恐ろしく下手だけど、あれは疲れてる中、カプセルホテルの狭い室内で寝っ転がってメモ程度に書いたので、あんなに汚いのです。
ホントはもっとちゃんとキレイに書けますからね〜!
posted by Shintaro at 00:50| 東京 ☁| Comment(0) | 思い出した | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月19日

18歳の夏の思い出

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先日、実家の押し入れから昔の写真と一緒に懐かしいノートが出てきた。
23年前、高校を卒業してすぐの夏に、徒歩で広島まで旅した時の日記だ。
てっきり捨てたのかと思ってたのでちょっと驚いた。
コレを読むのも23年ぶり
子供の頃から地図を見るのが好きで、日本地図や世界地図を見ながら「ココはどういう町なんだろう?」と想像するのが好きだった。
そのうち、実際に行って見てみたくなり、高校卒業後に実際にやってみた。
歩いて行ったのは「普段電車に乗る距離を実際に歩いてみたらどんなものか?」という興味があったからだ。
幸い時間はたっぷりある。
お金も高校三年間にバイトで貯めた貯金がある。
夏を選んだのは何となく。
とにかく面白そうだったんで1992年の7月26日、9時30分に西荻窪の家を出て鹿児島の最南端、佐多岬を目ざし環八を徒歩で南下し始めた。
荷物はデイパックに着替えのTシャツと下着、靴下をそれぞれ2枚。
地図は高校の地理の授業で使ってた日本地図。
夕方には蒲田に着き、19時頃川崎に着いた。
TVでバルセルナ五輪の開会式をやってた。
カプセルホテルで一泊した後、真夏の炎天下を国道沿いに一日平均10時間、距離にして約40キロ歩きながら3週間後に広島県の東端にある福山に着いた。
そこの健康ランドで、台風接近の為しばらく雨が続くというニュースを見てアホらしくなり、以降は電車に乗り鹿児島の佐多岬まで行った。
徒歩でと言ったが、実際には途中で2・3回、自転車を拾って乗った。
決して盗んだのではない。
空き地に捨てられ、ひっくり返ってるのを再利用したのだ。
パンクしてても徒歩よりは楽だった。
しかし何時間か乗ってると逆に疲れて来る。
そうすると、また乗り捨てて徒歩で行く。
宿泊は安いカプセルホテルや健康ランドなどに泊ったが、街が小さく見当たらない場合は野宿した。
公園のトイレの屋根の上が意外とキレイで人目にもつかず、良い寝床だった。
あと、レンタカー店の軽トラの荷台の上。
ココもきれいだし、寝てしまえば周りから見えない。
夜明けとともに起きて出発すれば、営業所の人にもばれない。
主にこういう所で寝泊まりしたが、難点は当たり前だが下が固い事と寒い事だ。
枕は背負ってるデイパックを使えばいいが、さすがに布団は無い。
板の荷台や、コンクリのトイレの屋根は固すぎて眠りが浅くなる。
また、いくら真夏とは言え、地方の夜はけっこう寒かった。
しょうがないから新聞紙にくるまって寝たら、意外と暖かかった。
雨に降られなかったのは幸いだった。
死ぬかと思うような怖い経験もしたが、好奇心の強かった18歳の夏の良い思い出だ。


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関係ないけど、ハーゲンダッツのコレめちゃくちゃ美味しい〜!
超おススメ!!
posted by Shintaro at 23:43| 東京 ☀| Comment(0) | 思い出した | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月11日

ベストの番組

今までで一番面白かったTV番組はナニ?
と聞かれたら間違いなくワレワレハ地球人ダと答えるでしょう。
もう10年近く前にフジテレビでやってたバラエティ番組で、電波少年にちょっと似てた。
外国に行って色々と無茶な事をして面白い映像を撮るんだけど、行くのがタレントではなくキャラの濃いスタッフだけ。
特に大蛇を探すスネークハンターシリーズは最高だった。
ヤラセだろうが何だろうが、迫力ある映像と妙な人間ドラマが圧倒的に面白く、毎週ワクワクしながら見てた。
突然変な終わり方をしたけど、番組の性質上色々と問題があったのかもしれない。
残念なのは検索しても動画サイトにはほとんどUPされてない事だ。
DVDでも出たら即、全巻買うんだけどなぁ。

37歳の誕生日になぜかこの番組を思い出したのでした。
posted by Shintaro at 06:42| 東京 ☀| Comment(0) | 思い出した | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月28日

ミャンマーのお坊さん

最初ミャンマーでデモって聞いた時「どうせすぐ鎮圧されて終わりだろ」なんて思ってたらいつの間にかここまで大きくなっちゃって、まさか日本人のカメラマンが死亡するとは・・・。
北朝鮮ほどではないけど変な国ですもんね。
いまだに密告制度があって国民の5人に1人が密告者だったり、外貨からの両替を銀行やホテルでやるとレートが目茶苦茶(安い)だから、市場の土産物屋や観光地でウロウロして闇の両替商から声をかけられるのを待ったりしないといけない国。
しかし、国民のほとんどが敬虔な仏教徒の国でお坊さんに向けて発砲したら火に油注ぐようなもんだろう。
まして今やそういう映像がネット等を通して簡単に世界中に配信されちゃうんだし。

5年前に旅行でミャンマーに行った時、軽トラに幌がついた安いピックアップバスに乗ったら、蒸し暑いなか荷台にギッチリほとんど身動きが取れないくらい詰め込まれ、堅い木のベンチがいくつかあってそこに腰掛けるんだけど、コレが堅くて堅くて30分位でお尻が痛くて我慢できなくなった。
ちょっとお尻を上げたりタオルを敷いてみるんだけどほとんど効果なく、暑い・狭苦しい・お尻が痛いの三重苦のなか脂汗流して耐えてるのに、周りのミャンマー人は平気な顔して黙って座ってる。
結局その状態で二時間くらい乗ってたと思う。
一度降りて違う車に乗り換える時、運転手に助手席に乗せてくれと頼みに行ったらお坊さんが二人座るからダメだと断られた。
普段なら「お坊さんならしょうがない」と諦めてたが、この時ばかりはなりふり構わず運転手に(現地人にとってはけっこうの額)を握らせて強引に助手席に陣取った。
やはり柔らかいシートはいい!堅い木のベンチに長時間座るのがあんなにつらいとは思わなかった。
後からお坊さんが二人乗ろうとしたが年配のお坊さんは一緒に助手席に座ったが、若いお坊さんは運転手に荷台に乗せられてた。
発車してしばらくしてから何気なく振り返ると、運転席側と荷台の間の仕切りの窓からさっきの若いお坊さんが恨めしそうにこっちを覗いてる。
案の定この車も荷台は窮屈そうだ。
さすがにお坊さんに失礼な事をしたかなと隣りの年配のお坊さんを見たら、ニコニコ微笑んでたので「まぁいいか!」とそのまま次の町まで車窓の景色を楽しむのでしたダッシュ(走り出すさま)

民主化されたらまたミャンマー行こう。
posted by Shintaro at 10:13| 東京 ☀| Comment(0) | 思い出した | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月17日

バガン

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この写真は世界三大仏教遺跡の一つバガン遺跡です。
5年前ミャンマーに行った時に撮りました。赤茶けた平原に無数のパゴダ(仏塔)や寺院が点在してます。今でも現役の物も少しはあるけどほとんどはただ存在してるだけです。当然ミャンマー観光の目玉の一つですが、なんせミャンマーなんで観光客などたかが知れてます。
ここから自転車で20分くらいかかる町から日中、炎天下の中えっちらおっちら辿り着きました。
緑の少ない人けの無い静かな赤茶けた広大な遺跡群の中を一人自転車でのんびり見て周ってたら、最初気味が悪かったけど次第に妙に落ち着く感じがしてきて、一人で無人のパゴダの中に入って涼んだりしました。

夕方近くになり、段々日差しが弱まってくるといつの間にか人が増えてきました。地元の人も観光客も。自転車に乗りながらふらふらしてたら道端に土産物を並べて売ってました。特に欲しい物は無かったんだけど、自転車を降りちょっとのぞいて見たら布に描いた仏画を売ってるまだ20代半ばくらいの若い男がいました。
その男が「私が描いた絵なんです。買って下さい!」と熱心に勧めてきました。素人目にはそこそこ良い絵に見えましたがお金が無かったので、相手の言い値よりウ〜〜ンと低い値を言ってやったら「冗談じゃない」って感じで首を振ったので「じゃぁいいよ」って自転車に乗ろうとしたら「ちょっと待って!・・・・その値段でもOK」とか言ってきました。
横にいた彼女か奥さんか知らないけど女の人が「あんた本気なの?それじゃぁあまりに安すぎるわよ!」みたいな感じで男に必死に言ってましたが「いや、いいから・・・」みたいな感じで「さあ好きな絵を選んでくれ」って言うんで仕方なく、象の神様がシェ−ッをしてるような絵を一枚買いました。

何かオレ悪い事したかな?って思いながらまた自転車に乗って夕陽がきれいだって聞いた一番高い寺院を目指しました。寺院に着き上に登ったら、雲に隠れて結局夕陽は見えませんでした。周りの人達も残念そうでした。
白い衣装をまとった白人のカップルが一生懸命に何かの念仏のようなものを唱えながら妙な踊りを踊っていました。その二人の周りには誰も近寄りません。遊びに来てた地元の子供達に「何だアレは?」と聞いても「知らない」と答えられるだけでした。
気がついたら持って来てた水はもう無く、のどがカラカラだったので試しに「お前が持ってるコーラ一口くれよ」と言ったら子供はうれしそうにくれました。ヌルかったけど美味かったです。一口ではなく全部飲み干してやったら何故か大喜びしてました。それを見てた他の子供も「コレもコレも」と持ってるジュースをくれました。せっかくだから飲んでやりましたが、口の中でヌルいコーラやオレンジジュースや甘い牛乳のような味が混ざって気味が悪かったです。
でも子供達は外人にジュースをやって嬉しそうだったので良かったのかな。この辺は後にカンボジアとタイの国境で、袋に入ったスナック菓子を「少しくれよ」と言ったら、睨みつける様な目で「ノー!」と言ったカンボジア難民の子供とはエライ違いです。
また、自分は絵描きだとか言う男に手に持ってたさっき買った仏画を見つけられ「いくらで買った?」と聞かれ値段を言ったら「何て事を・・・」って感じでとても悲しそうな顔をされました。そして「ちょっと貸してくれ」と言うととても丁寧に、大事そうにクルクルと丸め直して返してくれました。

やっぱり何かオレ悪い事したかな?って思いながらその寺院から子供達と一緒に降りて「バイバイ」をして、また自転車に乗ってえっちらおっちら安宿まで帰るのでした。
posted by Shintaro at 04:01| 東京 🌁| Comment(0) | 思い出した | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月16日

アメリカ人て

今日の東京は雨が降って久しぶりに肌寒かった。
そういえば5年前のちょうど今頃はベトナムを旅行してたんだけど今日みたいな感じでした。ベトナムというと暑〜い南国のイメージがあるかも知れないけど、北部の方は場所によっては冬から今頃の時期までけっこう肌寒くなったりするんですよ。
中国との国境に近いサパっていう所に行った時なんか、着いた時は半袖のTシャツだったんですが夕方になって小雨が降り出したら寒くて寒くて我慢できずに市場でセーター買いましたもん。寝る時もそれ着て寝たんですがまだ寒かったんで毛布余計に貰ったりして。
翌朝、寒いなか散歩がてら市場に行ったら白人が数人半袖のTシャツに短パン姿で普通にウロウロしてたのにはあきれましたけどね。でも、白人でもちゃんと上着着てる連中もいるんですよ。後で分かったんですがTシャツ・短パンはアメリカ人、上着着てるのは欧州人だったんですよ。分かりやすいでしょ?でもコレ本当。
たまに日本でも見かけるけど、何でアメリカ人てあーなんでしょうね?
その時に市場の汚すぎる食堂で食べた豚汁のようなスープと、何だか分からないけど魚の煮付けはビックリするくらい美味しかったですけどね。豚肉には毛が数本ついたままでしたけど、味付けが日本人に合うんですよ。
そういう繊細な味覚もアメリカ人には分からないんでしょうねぇ。ケチなのはフランス人なんですがね。アメリカ人て何かがオカシイんですよね。
別にアメリカ人が嫌いってわけじゃないんですけどね。
かといって決して好きでもないですけどね。
とりあえず日本人に生まれてホント良かったですよ。

アメリカ人はなぁ〜
posted by Shintaro at 23:47| 東京 ☔| Comment(0) | 思い出した | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月18日

ノロ

ノロウィルスってなんか嫌ですね。食中毒みたいな感じになるらしいけど。

昔、汚い居酒屋の貝の刺身にあたった事があってホント大変でしたよ。
食べ物にあたるなんて初めてだったし。

ひどい吐き気と度重なる下痢でグッタリして、体に力入らないから起き上がるのもつらくて、それでも便意を催すとヨタヨタしながらトイレに行ってほとんど水状の物を・・・・の繰り返し。ホントあれはきつかった。

後で聞いたらこういう時は、脱水症状にならないようにポカリスウェットを飲むといいらしいですね。
水は腸で吸収されるけどその腸が弱ってる時にはほとんど補給にならないそうで。
その点ポカリは胃で吸収されるから水分補給にはもってこいだそうで、ユニセフかなんかの緊急用の飲料水もポカリと同じ成分なんだとか。

ノロはドアノブや電車の手すり・つり革なんかからも感染るらしいね。風邪もこういうのから感染るって聞いたことあって、それから毎日家に帰ったら石鹸で丁寧に手を洗ってたら風邪ひかなくなったね(こないだ数年ぶりにひいたけど・・・)。

あと、去年だったかどこかの研究チームが実験したら、うがい薬でうがいするよりただの水道水でうがいした方が風邪の予防にはいいって結果が出てニュースになってたね。
何でもうがい薬だと殺菌力が強すぎて、良い菌まで殺しちゃうんだって。

以上、全てうろ覚えの豆知識でした。

そういえば駅からの帰り道、缶コーヒー飲んで家に着いたら目が回り出して吐き気がひどくてあわてて病院に駆け込んだら医者がへぼで注射うつの失敗されて何度かうち直された事もあったし、
気がついたら腕が発疹だらけで慌てて皮膚科に行ったら毛虫に刺されてるよって言われた事もあったし、
目の前でお婆さんが車にはねられるの目撃した事もあるし、
大仁田が道頓堀に飛び込むのも見たし、
アウンサン・スーチーさんが軟禁されてる家をチラ見した事もあるし・・・・あっ!


沼津のファミレスの駐車場で5千円札拾ったの忘れてた!!!
posted by Shintaro at 02:14| 東京 ☀| Comment(0) | 思い出した | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月04日

ベトナムうんこ

日本でありがたいのはトイレの清潔さ。デパートや公共の施設など建物の中にある公衆便所はキレイな所が多いし、ウォシュレットが付いてる所も少なくない。
また街中で急にもよおしても、コンビニがアチコチにあるので借りられて大変便利。でもそれは日本のオハナシ。

ベトナムを旅行してた時、夜行バスで移動中に大きい方がしたくなってきた。
夜中の2時頃だっただろうか。運よく間もなくバスが休憩の為に国道沿いの小さなレストラン(大きな食堂か)に停車したので、ヤレヤレとばかりに他の外人の旅行者と共にバスから降り、駐車場の隅にポツンと1つだけある公衆便所に向かうとすでに1〜2人並んでいた。前の奴が出てきて開いてる戸から中を見て思わず天を仰いだ。

小さい個室に和式の便器があるのだが、床がビチャビチャでもの凄く臭い。自動水洗じゃない為、用が済んだら隅にあるコンクリの水を溜めてある所から手桶で水を汲んで流すシステムなのだが、その時にどうしても床がビチャビチャになるのだ。それは現地ではよくある事なのだが、更に夜中なのに電気がついておらず戸を閉めると真っ暗。しかも天井の隅に大きなクモが巣を張っており、蛾やら訳の分からない虫が数匹飛び交っている。おまけにかなり臭い。

いくら現地の生活に慣れてたとはいえ、とてもこの真っ暗な小部屋の中には入る勇気はなかった。
しょうがないので後ろの白人に譲ってやると、彼も中の様子に少したじろいでいたが、やがて「サンキュー!」とか言いながら果敢にも中に入っていった。「マジかよ」と思っていたら、中からしっかりカギまでかけていた。

さて困った。他にはトイレは無さそうだし、かといって我慢も出来ない。早くしないとバスも出発してしまう。しかしあの小部屋はちょっとムリだ。
と、その時!どこからともなく「ザザァ〜ッ ザザァ〜ッ」という音が聞こえてきた。
暗くて気がつかなかったのだが、どうやらココは海岸沿いですぐそばにビーチがあるようだ。
音のする方に歩いて行くと、確かに砂浜になってた。更に奥の方を見ると木の杭で柵が作ってあり、ビーチパラソルやチェアーやらが束ねて置いてあるのがうっすらと見えた。

あそこだ!ひらめき
もうあそこでするしかないと真っ暗な砂浜を歩いて行き、その場所に辿り着くと思ってたより遠かった。もしココでしてる間にバスが行ってしまったらどうしようかとも思ったが、お腹の方は許してくれなかった。

真っ暗な砂浜でズボンを降ろし木の杭に捕まった。
幸い暗いおかげでレストランの方からこっちは見えないはずだ。僕は遠くのバスをにらみながら心の中で「出るなよぉ 出るなよぉ」と念じながらお腹の中で「早く出ろっ 早く出ろっ」と念じた。
緊張するとなかなか出ないものだが、その時はすんなり出た。けっこう出た。


「ザザァ〜ッ ザザァ〜ッ」異国の波の音を聞きながら持参したトイレットペーパーで事後処理をしていると、ふと人の気配を感じた。
ビクッ!として見ると暗闇から現地の男の人がこっちを見てた。怪しまれるのもなんだろうと思い、ニッコリ笑いながら「うんこ」と言ってみた。
向こうも察したのかそのまま何も言わずにその場を立ち去った。
僕は最後に砂をかけてからバスに向かって走って行った・・・・。



オレ、夜中に何書いてるんだろう
posted by Shintaro at 06:12| 東京 ☀| Comment(0) | 思い出した | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月06日

隣の国? 今思うと・・・

ラオスの首都ビエンチャンに行った時、夕方中華街の安いホテルに泊まってフロントのそばのソファーに座ってたら、アジア系の40代くらいの男数人に声をかけられた。

男「どこから来たんだ?」
僕「日本だ」
男「そうか!おれ達は隣りの国から来た」
僕「韓国か」
男「いや、そうじゃなくて・・・」
僕「中国?」

何か説明したいらしいのだが、英語が得意じゃないらしくもどかしい感じだ。
やがて紙にボールペンで「朝鮮〜なんたら」と漢字で書き出したが、漢字を書くのがぎこちない。

なんでも、道路の工事か何かの仕事でラオスに来てるらしいが労働者というより技術者かビジネスマンに見えた。

何かを必死に伝えようとしてるのだが、何せ向こうは英語がほとんど話せないようだし、漢字が書けるのなら筆談しようと持ちかけても漢字も苦手なようだ。

そのまま仲間とともに名残り惜しそうにホテルから出てったが、結局ドコの人達かは分からなかった。

その時は別に気にも留めなかったがあの人達は何だったのだろう?
「コリアン?」て聞いたら首を横に振ってたし、中国人かと思ったら漢字が変だったし・・・。やたら隣の国を強調してたけど。服装はかなり地味であまりいい洋服ではなかった。韓国人ではなさそうだった。

今思うと中国の朝鮮族の人達だったのかもしれないが、意外と北朝鮮の人達だったりして。

もしあの場で仲良くなってて、夜ビールでも飲んで油断したところを拉致されてたりして・・・・がく〜(落胆した顔)

それは考えすぎとしても、あの時一介の旅行者の僕に何を必死に伝えようとしてたのだろうか?

ちょうど4年前の日韓W杯が開幕する直前の出来事でした。
posted by Shintaro at 19:11| 東京 ☀| Comment(0) | 思い出した | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月29日

今日は暑いです晴れ
まだ梅雨は明けてないのに真夏のような暑さです。

明後日から新宿の末広亭に10日間出るのですが、着物ってけっこう暑いんですよね。
一応夏用の着物を着るんですが、見た目は涼しげでも着てる方はあまり涼しくないんです。

高座もクーラーが効いてるんですがそれでも汗かきますからね。

寒いのよりは暑いほうがまだマシなんですが・・・。

昔、ミャンマー行った時雨季の直前で気温40℃オーバーなんてのを経験したけど、さすがに外歩いてたら息が苦しくなりましたよ。もう呼吸がね苦しくてね、とても昼間は歩いてられなかったですよ。やたら疲れるしね。

それでホテルの部屋に帰ったら停電でクーラー効かないし、その部屋窓ないから昼間なのに真っ暗で空気もモワァ〜ンとしてて・・・。
しょうがないからまた外に出て、喫茶店でコーラ飲んだら氷でお腹こわすし・・・。

そのミャンマーもいきなり首都を移転するっていうんですから驚きますよね。今まではヤンゴンだったのに、ピンマナとかいう小さな町に。

去年あたりからニュースになってましたが、遷都の理由は不明。
占いで決まったとか、古文書に「ピンマナに遷都した方がいいよ!」って書かれていたとか色々な噂があるらしいです。

軍事独裁政権だから出来るんでしょうが、日本じゃ考えられないですよ。
変な国だったなぁ〜ミャンマー。
でも、また行ってみたいなミャンマー。
posted by Shintaro at 18:40| 東京 ☀| Comment(0) | 思い出した | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月16日

寒い五輪

トリノ冬季オリンピックがイマイチです。
今のところ日本はメダル0。頼みは女子フィギュアスケートの3人だけなんて報道もありましたが、真央ちゃん出ないなら興味ないです。
大体、マスコミが煽り過ぎなんじゃないでしょうか?

冬のオリンピックは北半球の国がほとんどで、競技もスキーかスケートばかりで画面が全体的に白くて退屈です。
両方ともやらないというか出来ないし。

特に中学生の時のスキー教室で初めてやったスキーは最悪でした。
滑ればスピード出るし、リフトは高いし、常に寒いし・・・。寒いのが嫌いでスピード恐怖症で高所恐怖症の僕には悪夢のような体験でした。

あれ以来1度もスキーはしません。
やっぱり寒い雪山より暑い南国のがいいです。

4年前ベトナムのフーコック島という所に行った時の話です。
行きは船に乗ったのですがあまりの狭さと蒸し暑さと息苦しさに、帰りは多少高くてもいいからと飛行機に乗りました。

島のはずれのちっちゃな空港に行くと滑走路に小型のプロペラ機が1機ポツンと。
あれに乗るのか・・・とボーッと見てると少し向こうの方を牛がノソノソ歩いて行きました。

機内に入るとやっぱり狭い。80人乗りくらいだったか。近くの席のベトナム人が話しかけてきて
「この飛行機のパイロットはフランス人だぞっ!」
とうれしそうだ。そんなもんか?

離陸するとやっぱり怖い。機体が小さいからよく揺れる。特に着陸する為に下降し始めたときは凄かった。

ガガガガッーと揺れたかと思ったらどこかから紙コップが飛んできて、コックピットのドアが開き操縦席の窓の景色が目に飛び込んできた。その時なぜか右手で小さくガッツポーズをとりながら「よしっ!」とつぶやいたのが後で思うと不思議です。

その後も右に左に上に下に激しく揺れながら何とか無事にホーチミン市のタンソンニャット空港に着陸してくれた。さすがフランス人だ。

教訓。やっぱり飛行機はジャンボジェットに限る。

それでもスキーよりは嫌じゃなかったです。


最近、ネタに困ると昔の記憶を頼りにブログを書くことを覚えました。




よろしく。
posted by Shintaro at 13:59| 東京 ☀| Comment(0) | 思い出した | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月09日

ベトナム

さっきなにげなくNHKを見てたら、ベトナムの国道1号線をハノイからホーチミン市(サイゴン)まで走るバスの特集をやってました。

ベトナムには11年前、まだ21歳の時に初めて訪れて以来都合3回行きました。初めて海外に行ったのもこの11年前のベトナムでした。

当時はまだ外国人の国内自由移動が許可されて間もない頃で、外国人観光客も少なく日本人もあまり見ませんでした。

たまに見かけても現地の駐在員か男の旅行者で、今と違い女性の旅行者など皆無でした。
男の旅行者も何故か会社を辞めて旅をしてる人が多く、学生はあまり会いませんでした。

僕も当時はフリーターで後楽園ホールでバイトをしてタイガージェット・シンに追いかけられたり、通路の隅でG・馬場と若手レスラーの相撲の行司などしてました。

当時、別に海外旅行にもベトナムにも一人旅にも憧れもなければ興味もありませんでした。

たまたまある日、TVに流れたベトナムの街の風景を見て「ここに行こう!」と思い立ち、次の日雑誌で調べパスポートを申請に行き数週間後にはベトナムのホーチミン市(サイゴン)の街を歩いてたわけです。

その後2回行きました。北から南まで周りました。
一時は向こうで日本人駐在員を相手に焼き鳥屋をやりたい等と考えた事もありましたが、もしやってたら今頃鳥インフルエンザでひどい目にあってたでしょう。

ここ数年日本ではちょっとしたベトナムブームで、しょっちゅうTVでもタレントが数人でにぎやかに現地の料理や雑貨などをレポートしてます。
アレを見てもあまり感じないのですが、今日見たNHKのナレーションだけの番組を見てたら不思議とベトナムを旅行してた時の記憶が鮮明によみがえってきて、自分が向こうにいるかのような錯覚にとらわれました。

NHKのドキュメント番組はやはり質が高いと再認識した次第です。

こういう海外ロケの番組には、現地のコーディネーターというのが必要不可欠でして、大体日本語が話せるベトナム人か現地に住んでベトナム語を話せる日本人がやってます。

これだけベトナム関連の番組が多いのを見るにつけ、向こうでコーディネーターの仕事でもしてたら儲かったかなぁ・・・等と考えます。

ベトナム行く仕事ないかなぁ?落語じゃなくてもいいから飛行機

写真も無ければオチも無い文章。タダだからいいでしょわーい(嬉しい顔)
posted by Shintaro at 02:29| 東京 ☀| Comment(0) | 思い出した | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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